昭和19年8月、回天が兵器として採用された直後から、
搭乗員の募集が始まりました。
昭和20年3月1日回天基地平生突撃隊が開隊、
同年4月17日より平生湾で訓練が開始。
回天は九三式魚雷2基を合体して考案されたもの。
操縦は難しく、 大変危険を伴うものでした。
訓練 の内容をメモしたノート(写真)からは、さまざまな
科学知識が叩き込まれた様子が伺い知れます。
回天の操縦には、秒時計が不可欠でした。
また、目標への突撃角度を図るために搭乗員は射角表
を使用していました。元搭乗員より寄贈を受けて秒時計
と射角表を展示しています。
また、平生基地では訓練中の事故で3名が亡くなって
おり、その遺影が飾られています。
回天は前進しかできないばかりか、脱出装置もありま
せんでした。
突撃したものの、海底に突き刺さって浮上できず亡く
なる隊員もいたそうです。
酸欠で苦しんで死ぬこともあり、出撃の際には自決の
ための短刀「護国」と拳銃が渡されたと言われます。
出撃前の写真。隊員たちが手に持っているのは「護国」
です。
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