1.自己紹介
2.回天への志願
3.回天を初めて見たとき
4.平生基地への赴任

5.回天の搭乗訓練
6.平生基地の外での思い出
7.仲間の出撃
8.出撃命令を受けたとき

9.橋口大尉について
10.終戦
11.戦争、回天とは、何だったのか?
12.現代の若い世代へのメッセージ
13.平生町へのメッセージ


 


〜戦争を知らない若い人達に向けてみなさんからのメッセージをお願いします。〜


(林)

 

近所の高校2年生が夏休みの宿題で特攻隊員の生き残りを探して作文にせよ、というのがありまして、私のところに話を聞きにきました。
2、3日前に私のところに来まして、作文が出来たというので見せてもらいました。

それには、最後の質問に林さんは答えてくれなかったと書いてありました。
その質問というのは、いかにこれから生きたらいいのかという問いに対する若人へのメッセージを聞かれたわけです。
その学生は、作文の最後に、その答えは「自分達で考えろ」というメッセージだったと、書いていましたね。

言いたい事はいっぱいありますが、一つにまとめられないんです。
今の世相をみて言いたい事は山ほどあります。
でも若者達だってワンパターンじゃありませんから。
千差万別でしょ。そんな若い人たちに一言でメッセージといわれても、私はできません。

ただ、最後には日本人に期待してます。べつに大和魂とかそんな精神論はいりません。人間の魂、知恵に私は期待しています。

(中川)
世の中が60年前と変わってますから・・・同じ経験を味わうようなことは無理なことです。

ただ、若者はなにか1つの目標をもって、一生懸命ぶつかっていくというような教育課程や、社会に出てもそういう気持ちでがんばって欲しいですね。

色々な雑音が入ってきて、ふらふらとするようなことがないように。
また、お金が唯一の人生の条件だと言うような風潮もあります。でも、何か一つのことを一生懸命に取り組むような、そんな目的を考えてやっていって欲しい。

世間のために、国のために、社会には迷惑をかけないようにして、何かの目標をもってやってくれたら、未来が開けるのではないかと、思います。

(山本)

自分は一人で生きている人間ではない。
いろいろな人に支えられて生きているということを考えて行動してもらいたいと思います。

それにしても、その若い人を左右するのは、やっぱり大人だと思うんです。
だから戦争中でも今のようにこういう命を軽んじるような、そんな兵器を平然として作って、若い人の命を奪っていく。
これは、ぼくはやっぱりリーダーが悪いと思います。

たつた一人で敵の船を沈めて、何千人もの命をとることができるとしても、その一人の命だって大事なんですから。
その一人の命を無駄にして、軽々しく魚雷に乗せて突っ込ませて命を亡くさせてしまう。
そういう事を平然とするリーダーはリーダーの資格がないと思います。

何をおいても一番大事なのは人間の命です。その命を軽々しく奪うような政策は許すべからず。
リーダーなり国を進めるような人がしっかりしてもらうこと。
若者はそれを聞いて自分で判断して何か目標をもって行くというのが大事な事なのではないかと思います。

(中川)
今、山本さんが言われたように、大人がしっかりしないと駄目ですね。いまは無責任時代ですね。何があっても責任をとる人がいないです。国のトップからして。

昔は部下が間違いを起こしたら上の者が切腹してお詫びをしたでしょ。今はリーダー自身が責任を取ろうとしない。

もっと、それぞれが自覚、責任が持てるような世の中にどうしたらなるのか?と思ってきました。
会社でもそういう人が多いです。
上司が部下に責任を押し付けて自分は責任を取らない。
それが一番僕にとって気にくわない事です。
私は責任を取ります。何かしたら自分で責任を取ります。
私は死を恐れていません。



はやし とくじ
林 徳次(大阪府在住)
予科練習生を経て回天隊へ。出撃命令を受けた。戦後は公務員。




なかがわ そうじ
中川 荘冶(大阪府在住)
平生回天会事務局長。
予科練習生を経て回天隊へ。出撃命令を受けた。戦後は会社役員。






やまもと しゅういち
山本 修一(富山県在住)
平生回天会会長。
操縦技術を教える指導官だった。
高校校長として退職。
 

   
  


〜最後に平生町のみなさんへメッセージをお願いします。〜


(山本)

 

太平洋戦争の時に回天の基地であった平生町。
そこから回天に乗って出撃していった。
その人達にとって、平生はその最後の土地。
死に逝く最後の土地だったんです。
そういう意味で、死んでいった英霊の目に残った最後の母港だったと思います。

この平生の地に回天の記念碑を作っていただき、交流館を造っていただき、本当に死んだ英霊もどんなにか喜んでいると思います。
非常に平生のみなさんに対して感謝、感激です。

私たちも若い青春時代に命をかけて訓練をした地ですから、何か平生町に来るとホッとします。
なんとか回天碑なり交流館なりを、平生町は永く、平和のシンボルとして残していただきたいと思います。

(中川)
本当に有難いと思います。
平成16年秋にあった平生回天碑移築及び、慰霊祭に際しては、町長さんをはじめ、みなさんに本当によくしていただき、涙が出るほど有難かったです。

〜みなさん、長い時間、ありがとうございました。皆さんのメッセージをしっかりお伝えしたいと思います。 〜


      阿多田交流館
2004年(平成16年)完成しました。
回天関連の貴重な資料約300点を収蔵・展示しています。その他阿多田半島の歴史に関する展示品もあります。


       平生回天碑
「訓練した海が見える場所に」という元搭乗員の方々からの希望で、 2 004年(平成16年)に、田名埠頭に移設されました。 出撃や訓練で亡くなった9名の名前が刻まれています。
 





                   
取材を通じて

 平成18年初秋、平生町観光協会の依頼を受け、観光パンフレット及びホーム
ページの制作をすることになりました。その取材活動の一環として、「回天」の
搭乗員だった3名様とお会いする機会に恵まれました。

 今まで多くを語ることのなかった元搭乗員さま。私たちの問いかけに対して、
「平生町のためなら」と、インタビューを快く引き受けていただきました。

 インタビューは平成18年9月27日、平生町役場職員様のコーディネイトによって、
大阪市内にて実現しました。
 2時間半にわたったインタビュー。時には当時の記憶を探りながらゆっくりと、ま
た、時にはまるでその場にいるかのような臨場感をもって、その真実の話は尽き
ることがありませんでした。

 その悲しい歴史を、それを体験したご本人の言葉そのままに記録し、公開する
ことができました。心より感謝申し上げます。
 また、これを、当時を知る貴重な資料として、あるいは平和へのメッセージとし
て、現在と未来の世代へと、しっかり伝えたいと思います。

 平生回天会の会長山本様、事務局長中川様、林様、そして、取材の機会を与え
てくださった平生町観光協会・平生町役場の皆様、ありがとうございました。


                                        平成18年12月1日

                    取材・編集/藤井康弘(ベンチャーワークス有限会社)



                                   
11.戦争、回天とは、何だったのか?

                                                     
                         
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