1.自己紹介
2.回天への志願
3.回天を初めて見たとき
4.平生基地への赴任

5.回天の搭乗訓練
6.平生基地の外での思い出
7.仲間の出撃
8.出撃命令を受けたとき

9.橋口大尉について
10.終戦
11.戦争、回天とは、何だったのか?
12.現代の若い世代へのメッセージ
13.平生町へのメッセージ


  

平生基地航行艦襲撃訓練航跡

〜そんな穏やかな雰囲気だった平生基地でも、訓練自体は厳しかったの  でしょうか?〜


(山本)

 

訓練は、それは必死です。
そんな何も考えている暇なんかないです。自分の命に関わることですから、言われなくても必死です。
岩にぶつかったり、沈没して海底にぶつかったり、襲撃目標にぶつかったりして、それはもう真剣にならざるを得ませんでした。
(中川)

回天に乗りましてね、むしろその後、夜、研究会というのがあってその日の報告をしたり、意見を言ったりして、回天に乗るのは苦しくはないけど、後の研究会の方が恐かったですね。

〜回天に乗ることは面白かったのですか?〜
(全員)

面白いと言うより、夢中でした。
とにかく夢中でした。


(山本)
訓練で乗るのは選抜された優秀な人ですから、みんなは羨望していました。
でも、失敗しようものなら、帰って来たときに偉い人たちが並んでいて、殴ったりして・・・。

(林)
訓練中のことで、こんな話もあります。

平生回天会副会長の藤田さんが残された記録によると、訓練で駆逐艦から回天を発射させたときのこと。
同乗者と二人で乗っていて、誤って、水中5mくらいで長島の端に回天をぶつけてしまいました。
損傷して水が中に入ってきて、ハッチは水圧で中から開けることがでません。でも、水がたくさん入ったとき、回天の外と中が同じ水圧になって、ハッチが開き、助かったそうです。

〜今日は平生町の阿多田交流館から特別に秒時計をお借りしてきま  した。これを使って操縦されたそうですね。〜

(中川)
これをこのまま首にぶら下げていましたね。
この秒時計は中島さんが交流館に寄付した本物ですよ。

(林)
時々、時計が止まることがあったんですよ。
押し忘れることもあったりして。例えば時計を止めて、針を戻さなきゃいけないのに戻し忘れたりしてね。

〜映画「出口のない海」では操縦の様子が描かれていましたが、そ    の動きを実際に覚えていますか?〜

(中川)
「出口のない海」のシーンでは、バルブを開くと言いながら、実は手は閉める動作をしていましたね。
あれは反対です。

(山本)
回天に入るときには、上からハッチを開けて、入って、ハッチを閉めてもらって、トントンとノックしてもらって。
それからだいたい20位の操作がありました。
色々な空気の弁を開いたりして。それを全部やらなきゃいけない。それからエンジンを始動します。

(中川)
何度の方向に行くかは、ジャイロスコープ(物体の角度・速度を計測する機器)が付いていたので自動的に行く方向は指してくれる。
そして、操縦者はこの秒時計を使って、何秒走ったから、今はどの辺りにいるのかを計算して、動きました。
だから、ジャイロスコープとこの秒時計は絶対の必需品。
それがもし無かったら、水の中を潜っていて、何もわかりません。

(林)
これは先ほど話した、事故をした藤田さんの航行記録です。進んだ角度が全て記されています。
このときの2号艇には、私が乗っていました。
なんとそのときには、こちらの山本さんも指導官で同乗されていました。
実は、山本さんは、私の回天に同乗される1週間前に、祝島(上関町)に回天で乗り上げるという事故を起こされています。

(山本)
そうです。その事故のために、出撃が後に回されて、指導官になったわけです。
指導官として同乗しますが、林さんの手元を見ているだけで、何もすることはなかったですね。

ただ、こんなことがありました。
いくらエンジンを吹かしても前に進まないと言うんです。それで、見てみると、漁業の網に回天が引っかかって、前に進めない状態でした。でも、もし、網がなかったら、あの時は島にぶつかっていましたね。
回天は網があると、攻撃はできませんでした。
当初回天は、停泊している艦艇を攻撃していました。でも、その内、敵は回りに網を張るようになりました。
だから、航行中の艦艇を攻撃する訓練に変更になりました。

(中川)
網の問題もありますが、回天操縦の一番の問題点はバックできないことです。
とにかく走り出したら、ぶつかるまで走り続けるのです。

(山本)
回転半径も大きくて、200m位ありました。
それを考えて方向を決めなければならない。

〜訓練中に、もう死ぬのかもしれないと思われたこともありますか?  〜

(山本)
そうですね。祝島(上関町)にのし上げたときには、もうダメだ、と思いましたね。

(林)
あのときは、私も見ていましたが、3ノットくらいのとても低速でゆっくりと島に向かっていって・・・。
みんなで「なんでだろう」と言っていると、異常を知らせる発音弾も投げ込まない内に、とうとう島にのし上げてしまった。
その後、潮が引いたとき、海岸べりにあったトウモロコシ畑の葉っぱをもってきて、回天を隠しました。
その時に、近所の人がくれた枇杷が美味しかったなぁ。

(山本)
実は、頭がボーとしていて、どこを走っているのか、わからない状態になっていました。
というのも、回天に長い時間乗っていると、船内に炭酸ガスが溜まってしまうんです。その影響だと思います。

(林)
そうだったんですか。私はボートに乗って、山本さんの回天の前を横切って、手旗を振って危険を知らせたんですよ。
でも、それにも気付かずに、そのままとことこと走ってしまった。

(山本)
あの時は、スピードがゆっくりだったから、良かった。
もし、早かったら、死んでいますよ。

3.回天を初めて見たとき 
4.平生基地への赴任

                          


       
回天操縦図
直径1メートルほどの魚雷内部に乗組員1名のコックピットがあり、搭乗員は小さな潜望鏡で敵艦の位置を確認し、潜航操舵、敵艦へ命中させました。


         射角表
目標への突撃角度を図るために搭乗員は射角表を使用していました。これは、元搭乗員より寄贈されたものです。

 

        秒時計
阿多田交流館に展示している秒時計
回天の操縦に使われた。
 
          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




          発音弾
回天航走訓練に使用しました。
海水が入ると爆発する仕組みで、回天に警告を発する時に海に投げ込まれました。
       
                         
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