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イベント情報
平生町観光協会
山口県熊毛郡平生町大字平生町210-1
TEL:0820-56-5050
 
 
 
 
 平生町歴史民俗資料館 (平生図書館併設)


古代のロマンに触れる
平生町歴史民俗資料館

山口県熊毛郡平生町大字平町193-4堀川公園内
TEL:0820-56-2310
開館時間:午前9時〜午後4時
休館日:月曜日・国民の休日・年末年始


館内の様子
温暖な気候で山海の幸に恵まれたこの地域は、縄文
の時代から人が住んでいた形跡が残っています。
その証拠に町内には縄文時代の遺物が数多く発見さ
れた岩田遺跡や、古墳時代のなごりとして神花山古
白鳥古墳などがあります。

歴史民俗資料館には、それらの遺物等の貴重な資
料が展示され、私達の祖先が古代どのような生活をし
ていたのか、またどんな文化が発達していたのかなど
をうかがい知ることができます。
中でも 神花山古墳の石棺から発見された頭蓋骨をも
とに、復元した女王の像
は大変興味深いものです。

以前展示されていた太平洋戦争当時の水中特別
攻撃隊(特殊潜航艇「蛟龍」「海龍」・人間魚雷「回天」)
の資料は、2004年完成した阿多田交流館に移されまし
た。
現在当館には、光市武田製薬の敷地から発掘され
回天二型が保管されています。

復元された女王像
回天二型
 岩田遺跡

岩田遺跡

縄文式土器

岩田遺跡石碑

ドングリの貯蔵穴の模型
縄文時代の生活を伝える岩田遺跡

岩田遺跡は、昭和27年に佐賀中学校の敷地を造る
ために整地作業をしていたところ、多数の土器が出
土したことで発見されました。
小規模な遺跡の多い西日本には珍しく 約6,000uを
超えるの広大な遺跡で、昭和49年に山口県の指定史跡となっています。
現在は保存のため埋め戻され見ることはできません
が、その出土品(平生町歴史民俗資料館にて展示)からは縄文時代の中期から弥生時代の前半の生活をうかがい知ることができます。
ドングリなど木の実の貯蔵のための穴や、乳幼児を
埋葬したと推定されるかめ棺群、打製石斧、土器
ど多くの出土品(平生町歴史民俗資料館にて展示)が見つかっています。
 神花山古墳



女性の権力者を祀った神花山古墳


平生湾に面した標高39mの神花山の山頂部にある
前方後円墳
です。
全長約30m、高さ約2.5m。 5世紀前半に造られたもの
と推定されます。

この古墳の発見は、第2次世界大戦のさなかの昭和19年。当時この付近一帯は海軍の軍用地でした。
この神花山の頂上に高射砲の陣地を構築するため
敷地をつくっていたところ、石棺が発見されたのです。
中には、ほぼ全身の人骨が納められており、当時は
壮年男性のものと考えられていました。

しかし敗戦後の混乱により、現在は頭骨だけが保存
されています。

昭和62年、長崎大学医学部の松下教授の鑑定により、20代前半の女性の頭骨と判明しました。

古墳時代の女性の人骨が、発見されることは大変珍し
く、貴重なものです。
昭和57年山口県の指定史跡とな
りました

町は、遺骨をモデルに復元像を作り、平生町民俗資料
館に展示しています。これをもとに 建立された古代女
王像
(高さ約10m)は、神花山古墳のシンボルとなって
います。



古代女王の像


古墳時代にこの地方に君臨していた豪族の首長
としての威厳をもち、女性のやさしさと美しさを表
現しています。
朝日ののぼる東の方を向いて建てられています。
神花山は秋には彼岸花、春には桜が美しく咲く散策
スポットでもあります。


 白鳥古墳

二神二獣鏡

巴型銅器

山口・広島県で最大の前方後円墳、白鳥古墳

白鳥古墳は全長約120mの山口、広島両県の地域
では最大の前方後円墳
です。5世紀前半の古墳時代
前期から中期のものといわれています。

江戸時代に白鳥神社の社殿再建の際、竪穴式石室
から、鏡、玉や鉄斧などの鉄製品、巴形銅器などが
掘り出されました。

西部瀬戸内海の海上交通を支配した大豪族の墓と
いわれています。
昭和46年に山口県指定史跡となりました。

 

 

 大野毛利氏墓所

秀巌寺にある大野毛利氏墓所

海前寺跡にある大野毛利氏墓所

平生の発達に貢献した大野毛利氏墓所


平生町沼の海前寺跡には大野毛利氏の墓所があります。初代就頼ほか代々のお墓は萩市の禅宗、妙悟寺
にありますが、ここには二代就詮(なりあき)、八代熈頼
(ひろより)、九代親詮(ちかあき)、十代徳正のお墓が
あります。
またこの近くの秀巌寺の墓地には、初代就頼の生母と、正室ならびに正室の生母の三人のお墓があります。
秀巌寺は大野毛利氏の女性方の菩提寺として伝えら
れています。

毛利就頼
大野毛利氏の初代、毛利就頼は慶長12年(1607年)
吉川広家の二男(三・四男ともいう)として生まれまし
た。
就頼は平生湾一帯の干潟の大規模な干拓を行い、
製塩業の発達に貢献します。やがて平生は防長塩
の一大産地として経済的にも急成長
を遂げました。
また、地盤の低い干拓地の塩害防止の為にオランダ
式ロクロを使った南蛮樋を建造し、海水の浸入を防ぎ
ました。
大野毛利氏は平生の近代の発達のために大きな功
績を残しています。
 土手町南蛮樋  堀川南蛮樋
土手町南蛮樋
堀川南蛮樋
熊川河口付近に建造されている南蛮樋は「土手
町南蛮樋
」として山口県有形民俗文化財に指定
また、堀川河口付近に建造されていた南蛮樋は、
公共下水路工事に伴い、堀川公園に移設され、
堀川南蛮樋」として平生町指定有形文化財(建
造物)に指定
されました。

当時のオランダ最新技術による南蛮樋

江戸時代、大野毛利氏が行った平生開作は、
堤防を築き、海水を堰き止め、広大な干拓地を
造りました。
そして、この開作の雨水排除の方法として、当
時最先端の技術で造られたのが「南蛮樋」とい
われるものです。

これは、ロクロの心棒部分と樋門の樋蓋を縄で
むすび、鉄製のハンドルを回して、樋蓋を上下
させることで樋門を開閉させる当時のオランダ
最新技術を使ったもの
です。

そのため、南蛮渡来の技術を使った樋門という
ことで「南蛮樋」(またはナンマン樋)と呼ばれま
した。

 平生町民具館
昔の生活を今に伝える平生町民具館

山口県熊毛郡平生町大字平生町193-15

平生歴史民俗資料館のすぐ近くにあります。
館内には、約600点の民具を展示しています。
ほとんどが町内の方々からの寄贈によるものです。
漁労・農耕・衣食住関係など、昔 の人々が生きる
ために創意と工夫をこらして生み出したたくさんの
民具が展示されています。

中でも塩田関係の用具は、「平生町塩田を語る
会」
の方々が大切に保管していたものや、復元
したもので大変珍しいものです。

塩は古くから人間の生活に欠かせないとても貴
重なものでした。
江戸時代、大野毛利氏による干拓事業により、
約120haの耕地と20haの塩浜が完成。

これをきっかけに平生は防長塩の一大生産地に
なった
のです。防長は、播州赤穂に次ぐ塩の生
産地でした。
平生の塩田は、昭和34年塩業整備臨時措置法
の制定により、全ての業務を停止するまで人々
の生活を支えました。
民具館には、塩田のしくみが学べる模型や、実
際使われた道具などを展示しています。

 白井小介顕彰碑

維新の志士 白井小介

性豪気、文武にたけて短槍の名人、鉄砲の権威者
であり周南の独眼竜とうたわれた維新の志士白井
小介。
小介は文政9年(1826年)、儒学者白井弥蔵の長男と
して誕生しました。 嘉永年間には江戸に赴き、佐久
間象山に砲術、斉藤新太郎に剣術、安積艮斎に文学
を学びます。
また、江戸に囚監されていた吉田松陰に金品を差し
入れ、謹慎を命じられたというエピソードも。
松陰死後は、高杉晋作らと尊攘運動に奔走し、文久
3年の第一奇兵隊結成時には、参謀となって馬関に
出兵しました。
その後は、訓練中、雷管が爆発し右眼を失明する
不運にも見舞われますが、真武隊参謀を経て、
南奇兵隊の総督となります。

慶応2年の四境戦争には大島郡へ、戊辰戦争には
北越に出兵し、数々の武勲をたてました。
明治3年、田布路木に隠棲してからは、塾(飯山塾)
を開いて子弟 の教育に力を注ぎます。
明治33年には、従五位に叙せられ、中央に出ること
なく、同35年、 77歳の生涯を終えました。
隠棲の地跡にたてられた顕彰碑には、このような功
績が生前交流のあった山県有朋公によって、まとめ
られ記されて
います。

  あ た た  
 阿多田交流館
回天の悲しい歴史を
  伝える阿多田交流館


>>特集ページを
   ぜひご覧下さい
 回天碑
回天碑



訓練した海を臨む回天碑

阿多田交流館から徒歩5分、神花山古墳登山
口の近くには回天碑があります。

この慰霊碑は、「訓練した海が見える場所に」という
元搭乗員の方々からの希望で、阿多田の海を臨む
この地に建てられました。
出撃や訓練などで亡くなった9名の名前が刻まれて
います。
   

  
       

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